Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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dz3

2023年03月08日(水)1
@Taroupho #ニーチェ の『ツァラトゥストラ』においては #仏陀 の端緒の内心の躊躇が、誰も聞いてはくれなかったという初発の布教行為とその反応という出来事に変換されて記述されている。
@Taroupho #ニーチェ の『ツァラトゥストラ』においては #仏陀 の端緒の内心の躊躇が、誰も聞いてはくれなかったという初発の布教行為とその反応という出来事に変換されて記述されている。
@path110 特殊相対論の様な現代物理学においても「〜のように見える」と「観測される」は同じ意味になる。さらにその前提としての「瞬時(に)の意味」も。 #science #哲学
@Taroupho 他者に「布教」し始めたその行為の瞬間からつまりその行為そのものによって教徒になるのでしょう。もちろん行為の反復と持続という問題がさらにありますが最初の行為がやはり決定的です。特に仏陀の場合は。実はそれを真似てニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭が書かれてますね。
@path110 事柄の方からやって来るのだと思われます。
@path110 物理と哲学の境界領域が焦点になりますね。
ゲーデル解 wikipediaからの転載 #physics https://pic.twitter.com/j3yKWlSdMX
#ゲーデル 解 https://pic.twitter.com/1Ky25eZ0Qy
@path110 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E8%A7%A3…
2023年03月07日(火)
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 ループ量子重力理論の話ならば、考え方が似ていると思います。そうした場合は、過去の哲学者の考えも淘汰されて、また貢献したという言い方も出来るかと。Apple TV+ の「Dr.ブレイン」(1〜6)がそういう感じの考えでした。
@path110 いえまだ思いつきレベルですので。昨年小笠さんの本でインスパイアされたことを先程想起しました。
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 理解しました。素粒子の玉ねぎの皮をむいていくような感じでしょうか。逆に宇宙には、もっと高次元の世界があるという考えですか。
@path110 仮説だが、多様体レベルで #時間 =回転運動ならば、その時間=回転運動によって、回転させられるもとの空間に対してより高次元の空間が生まれる。そしてその新たな空間から見るともとの空間の時間はループしている。時間と因果性がループするゲーデルの回転宇宙は高次元から見た我々の宇宙。#哲学
@path110 Archives 「一瞬」という思考実験の場を巡るみいあ氏との対話|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/neadb7fdc9812…
@path110 はい。これは小笠英志さんの本で読みましたが、私が気になったのは多様体レベルで #時間 =回転運動ならば、高次元空間はより下位次元の空間の回転運動ではないかということです。#哲学
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 簡単な多様体の基礎の考えを描いたのでご覧下さい。超弦理論と関係あります。 https://pic.twitter.com/oq15jMVn22
@path110 はい。これは小笠英志さんの本で読みましたが、私が気になったのは多様体レベルで #時間 =回転運動ならば、高次元空間はより下位次元の空間の回転運動ではないかということです。#哲学
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 難しい質問です。リーマン幾何学では、仮に地球があったとして、北極から赤道に2点を垂直に引いた三角形の和は、90+90+90=270度になる為、デカルト座標系で考えると破綻してます。また、群論の初歩ですが、正三角形に1、2、3と点をつけて、120度の3回転と180度の回転(ひっくり返す)と6通りです。
@path110 一瞬の方向転換という完全に理想化された転換を考えるならそれは無限の速度ということになる。すなわち、その一瞬の方向転換自体は実在的な領域を図式化した系の内部に位置してはいない。ではそれは思考の内部に位置するのだろうか? 思考実験と実在の接点が占める場はどこなのか? #哲学 #物理学
@path110 デカルト座標を変換=図式化したミンコフスキー時空図においては、一つの慣性系に対する光速運動は横軸=空間軸に対して45°の直線になる。光速を超えた速度は空間軸により接近した角度で表すことができる。
@path110 この「180°」は我々の通常の思考の図式化機能における「一瞬の(完全な=理想化された)方向転換」(完全に理想化=図式化された出発地点への帰還経路への瞬時の転換という現象)について述べている。
@hitoshinagai1 一連の『哲学探究』より前の時期に限定したとしても『倫理とは何か』も入っているのではないでしょうか。
ニーチェからカントへ: 人工汎用知能は先取りされていた|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n81a6ddafa32c…
再投稿 2020/1/16 #AI #人工知能 マックス・テグマークが本書で力説する最重要テーマは「知性の基体からの独立性」であり、これが著者による人工汎用知能の現実的な出現可能性の主張を支えている。https://www.amazon.co.jp/-/en/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF/dp/4314011718/ref=cm_cr_srp_d_product_top?ie=UTF8…
repost:2016年11月29日 人工汎用知能AGIの誕生が現実性を帯びるとスポットライトは #ニーチェ から #カント に移動する。カントはいまだ人間的なものであるニーチェの超人を超えた(AGIを含む)有限的-知的存在者一般について語っていた。
2023年03月06日(月)
粒子1のスピンの観測と「同時に」粒子2のスピンが決定される場合、この「同時性」は、それ自体は実在的な系の内部には位置しない(実在性の内部と外部の架橋領域としての?)「思考という場」にあるのだろうか。#量子論 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n5782b659aed5…
Tweet Archives <数> <物自体> <情報> 量子情報理論・量子重力理論においても焦点になるだろうテーマ|永澤 護 /dharmazeroalpha #physics #philosophy https://note.com/dharmazeroalpha/n/nfface1aefaab…
補足 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1631439283000344576…
posted at 10:01:03 削除
この点で我々人間は #AI (人工汎用知能AGI)と何らかの探究作業において協働できるかもしれない。しかしこれは極めて微妙な問題でAGIが識別と理解の違い(の意味)をメタレベルで?「理解」できるかどうか予想できない。 https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1632393155348938753…
#数 はそれへと実在的事象が「還元」されるようなものではないのではないか? という問いが今浮かんだ。 #数学 と物理学と哲学の狭間にある問い。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
しかし、右手の形の人と左手の形の人はいわゆる不一致対称体だが、その違いは自分がどちらであるかといったこととは独立に(すなわち自分の身体感覚をそこへと投入することなしに)識別できるよね(理解はできなくとも)? すなわち、たとえば自分は球体であっても右手人と左手人をただ眼で見るだけで。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
②を③から独立させることはもちろん極めて重要だが、それとともに①から独立させることも極めて重要だ。もともと「正義」は功利原理には基づかないという深淵な問題がある。簡単に書いたがこれらには多くの問題が含まれている。引用文の「共産主義者社会」は「共産主義社会」の誤記ではない点も注意!
単一性と総体性の判断とカテゴリーの関わりについて④ #カント #純粋理性批判 https://pic.twitter.com/hVJMLOHySB
単一性と総体性の判断とカテゴリーの関わりについて③ #カント #純粋理性批判 https://pic.twitter.com/0suCoEF3U5
単一性と総体性の判断とカテゴリーの関わりについて② #カント #純粋理性批判 https://pic.twitter.com/GZvwSnCj3B
先にツイートした単一性と総体性の(判断とカテゴリー)の関わりについて #カント #純粋理性批判 https://pic.twitter.com/rSqabxfQwU
2023年03月04日(土)
https://note.com/dharmazeroalpha/n/na1694987c64c… 参考
情報理論として位置づけられた現代 #量子論 においても、確率分布の集合の最小単位としての #情報 が量子状態と定義され、その出現が観測される量子状態の出現確率の全体=合計確率は1になる。この1という数が総体性としての単一性を表現していること自体は量子論に固有の事態ではない。
『〈私〉の哲学 をアップデートする』収録論文「ゾンビに語りうることと、A変容」by 谷口一平に対するマンマのさんま Mk-2氏の批評と谷口一平氏による応答が素晴らしく興味深かったのでArchiveを作成した。一部私のツイートと関連記事を付加した。#哲学
訂正→(排除されている)
「古典的」つまり量子もつれ(エンタングルメント)が考慮されていない(排除されてい)物理学
Archives 内山興正・鈴木俊隆・澤木興道を巡るツイート & 参考資料|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nca7609237f57…
#鈴木俊隆 がいなかったら「 #スティーブ・ジョブズ 」もあり得なかった。 https://twitter.com/tokumaippan/status/1631801929671245824…
直前のnoteの一部 https://pic.twitter.com/2V0upAen25
古典物理学では上記物理量にも「任意の」が付加され得る。#science #physics
取り分け古典 #物理学 のコア。任意の同時刻での物理量が独立に確定可能。しかしここではさらに遥かに根源的な次元で問題化している。
@ganrim_ ご参考までに。汎地球的社会実験 グローバル・ステルス・ストラテジーを巡って|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nb92c01bf682e…
@ganrim_ 永井均氏の『青色本』自体(あるいは同じことですがその決定的なウィトゲンシュタインの誤診の抽出)の否認または無理解による言語ゲーム一元論的解釈の言語ゲームが支配的になったことが大きいでしょう。同様な流れにおいてジュディス・バトラーの構築主義の系譜も総て体制内部に回収されました。2023年03月03日(金)
この数と物自体の両者を横断的に包括し得る次元として現代 #量子論 において導入されているのが #情報 である(コギトの嵌入)。そこにこそ #ライプニッツ の超先見性がある。情報は数でも物自体でもない。情報の最小単位が存在しそれが数と区別できるのかどうかはいまだ明らかになっていない。#哲学 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1630854515187666944…
@Taroupho 本日注文し明日届きます。また後ほどコメントします。ピュタゴラスの現代性―数学とパラ実存 https://amzn.asia/d/eJRp1Rd
#量子力学 においても2個の粒子が「空間的に離れた場所」にあるという設定が因果律のカテゴリーを適用するための前提条件として前提されている。つまり直観形式はカテゴリーが前提せざるを得ない根源的な制約になっている。#physics #純粋理性批判
言説コードに触れる可能性があるため簡潔にしか言えないが、#昆虫食 の推進の本質は、地球全体の支配と覇権を賭けた #世界戦争 である。
モンゴメリーオドリズコ予想について:先程のツイートスレッド参照 #mathematics #science #philosophy https://pic.twitter.com/FOCQIILJaE
@Taroupho 一般向け記事 http://zip2000.server-shared.com/sosu.html
@Taroupho https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%82%B3%E4%BA%88%E6%83%B3…
@Taroupho 理解に
@Taroupho これは残念ながら門外漢の私の力がその真に内在的な理解が及ばないリーマン予想と量子揺らぎの驚くべき対応を示したモンゴメリーオドリズコ予想に関わります。関連するnoteの記事は幾つかありますのでまた後ほど。
@Taroupho これは残念ながら門外漢の私の力がその真に内在的な理解が及ばないリーマン予想と量子揺らぎの驚くべき対応を示したモンゴメリーオドリズコ予想に関わります。関連するnoteの記事は幾つかありますのでまた後ほど。
谷口一平 A.k.a.hani-an@Taroupho
「物自体」に対置されるものが「数」である、という観点は、あからさまに重要ですね。永澤さんがここで仰言っている以外に、それが言われるのを聞いたことがないですけど。
私が以前研究していたオスカー・ベッカーでは、まさに存在論 vs. パラ存在論の対置がそれです。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1630854515187666944…
つまり「感覚的確実性」という言葉またさらに「イデア」という言葉は良くない循環を齎さずには最早使えないということですね。 https://twitter.com/Taroupho/status/1631506569560203265…
@Taroupho まさにその機能を担わされているのが、しかも解消し難いアポリアを内包する形で遂行するのが #カント の『 #純粋理性批判 』の枠組みでは超越論的時間規としての超越論的図式機能です。いずれお会いしてできれば協働作業をやれればと思います。#哲学 #philosophy
谷口一平 A.k.a.hani-an@Taroupho
ここが指摘のコアですね。しかし、何とも難しいことを仰言る!
恐らく「「カテゴリー」を「A変容言語」で語ること」が問題となってきて、それはやはり「図式論」に、最終的には行き着きますね(cf.『哲学的洞察』pp.14-5)。
@irifuji お役に立ててさいわいです。
@path110 ビタミンDを併用するといいかもですね。
入不二 基義 Irifuji Motoyoshi@irifuji
永澤さんの指摘で分かった『〈私〉の哲学 をアップデートする』の誤植です。どうもありがとうございます。
・p.246 L.14.「背後のは」の「は」の位置の誤り。→「その水準での「流れ」「動き」は背後の潜在的な「流れ」「動き」にならざるを得ない…」
・p.248 L.20.「それれでもなお」の「れ」をトル https://twitter.com/xlgjfmypcchopj6/status/1631206249189761024この受容性という棘が完全に除去不可能であることに。
『 #省察 』の #デカルト はそれに気づいていた。
故久保元彦氏は #カント 『 #純粋理性批判 』第2版で書き加えられた「自己触発」の記述を削除または無視(または否認)すると「(最後の問題として)受容性が謎になる」と書き残したが当然だ。この受容性こそまさに究極の謎だからだ。#哲学 それ自体に突き刺さった除去不可能な棘である。#philosophy https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1631439283000344576…
既に何度か述べているが #カント 『 #純粋理性批判 』の枠組みでは「知的直観」の主体でさえなければ有限的-感性的=受容的直観の形式の種別は任意であることが重要である。つまり《我々》は現存すると《我々》によって見なされている《人間》である必要はなく人工汎用知能でもいい。#AI #哲学 #science
2023年03月02日(木)
@Taroupho 演芸会でしょうね。パスカル的な暇つぶしの
「 #ショーペンハウエル 25歳時の学位論文を最初に読んだ #ゲーテ の有名な言葉「あの人は、私たちすべての者の頭を越して倍ほどにも成長する人」ゲーテは正しかった。#哲学 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n92c4dca89bff…
@ganrim_ 『シンウルトラマン』に出てくるプランクブレーンワールドですかね
@ganrim_ ストレスかなりあって比較的早々とこの歳でなのかまたはいい加減必ずしも自覚なしに現世に飽き飽きしていたのか(苦笑)
この「同時に」は、一連の思考の核となるその思考の全重量を担っていることがしばしばである。
どらえもんの|ターコの部屋 #note https://note.com/2021starter/n/nec4537146a87…
@irifuji 指摘が正しく安堵しました。
「同時に」という言葉を使うことが全くできなけれぱ「思考」が不可能にならざるを得ないように思われる。ただしこの言葉それ自体が概念であるのかどうかわからない。#哲学 #philosophy
@irifuji 最後の注の246頁終わりから8行目の「その水準での「流れ」「動き」背後のは潜在的な「流れ」「動き」にならざるを得ない」は正しくは「その水準での「流れ」「動き」は背後の潜在的な「流れ」「動き」にならざるを得ない」でしょうか? 当初の文では重大な誤解を生むおそれがあります。
カント『純粋理性批判』 二つの図式と現代哲学|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n3f79609b12e7…
だからこそ(取り分け最先端の)#科学 #物理学 の探究には統制的理念の図式が不可欠になる。それなしには探究の方向・ベクトル自体が消失する。#science #physics #カント #純粋理性批判
実のところこの鉄則を律義に守ると現代 #物理学 の最先端部分の探究も殆ど存立不可能になる。
時空構成的な図式と統制的原理(理念)の図式を混同するなというのが #カント の鉄則だが、これを律儀に守ると現代 #哲学 の殆ど総てが存立不可能になるだろう。#純粋理性批判
オマージュ J·G·バラード『終着の浜辺』|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nd51b27aaeda1…
浜辺の記憶 またはいつかどこかの砂漠に向かって J·G·バラードの『 #終着の浜辺 』は《我々=人間》の終わりの時を描いた。 終着の浜辺 (創元SF文庫) https://amzn.asia/d/60lwwkB #poetry #詩 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1630877764126654466…
参考② #物理 数学的思考と形而上学の接触点 #哲学 https://note.com/dharmazeroalpha/n/neadb7fdc9812?magazine_key=mcffc411ae678&s=07…
https://note.com/dharmazeroalpha/n/nc23f590e82c2?s=07… 参考 #physics #science #philosophy
2023年03月01日(水)
渚にて https://pic.twitter.com/IKSJwRCpaA
カントとピタゴラス 物自体と数のアリーナ|永澤 護 /dharmazeroalpha #mathematics #science #physics #note #哲学 https://note.com/dharmazeroalpha/n/nafd31a998e81…
まだ仮説だが、#カント は #ピタゴラス の「数」に唯一対抗できるものとして「物自体」を投入したのではないか? https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1630689395962691584…
#カント が『 #純粋理性批判 』で物自体を完全な異次元に設置したときの最大のターゲットは #ピタゴラス だったのではないか? 実のところ彼自身が自覚していたのかどうかは分からないが。
#一般相対論 と #量子論 を統合する量子重力理論並みに途轍もなく困難な #哲学 的探究課題 #science #philosophy #physics https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1630674753534173185…
Tweets Archives #カント『 #純粋理性批判 』のデッドライン|永澤 護 /dharmazeroalpha #philosophy #哲学 #science #physics #現代思想 これらも全体の体系にそのコアとして組み込まれるが、幾つかの困難な予備段階を経て何とかまとめていかなくてはならない。 https://note.com/dharmazeroalpha/n/naab9effaf458…
posted at 06:02:12 削除
2023年02月28日(火)
真顔アカウント@sitasimiyasui
「もしある人が子どもを産むために(あるいは共同体の存続のために)生きることを選択したとしても、その選択は同時に自分が幸福に生きるための選択でもなければならない。」このように解釈すると、共同体主義等もその根本真理に含められますね。 https://twitter.com/ganrim_/status/1630511057906331648…
@sitasimiyasui 「自分が幸福に生きるための選択」は無限回=階微分可能な累進構造を持っているようです。
@hitoshinagai1 青山氏の言う「境界のなさ」を含めて「一つ(のこと・であること)」という(語り得ないはずのこと)を語ろうとすると「意識」という言葉が生まれてくるように思います。青山氏の場合この「一つであること」は意識の独在性または意識・独在性と対応付けられています。私の関心は超越論的統覚ですが。
@Taroupho 私の一つの焦点的な論点はその「単にない」を含めて、そのような地点を〈私〉と《私》の二重性を踏まえてどのように語ることができるのかというものです。ですからやはりどうしても #カント の『 #純粋理性批判 』または超越論的哲学との対峙が不可欠になります。
@Taroupho お会いして。
@Taroupho いずれ対話しましょう。
2023年02月27日(月)
Archives みいあ氏との対話 フォンノイマン鎖と自己観測の可能性|永澤 護 /dharmazeroalpha #note 哲学者というより #物理学 者または一般に科学者向けのアーカイブ https://note.com/dharmazeroalpha/n/nc23f590e82c2…
@Taroupho はい。まだ111頁ですので(アフターソートも未読)また後ほど。
谷口一平 A.k.a.hani-an@Taroupho
そうですね。私のアフターソートでは「単にない」という表現を何度か強調していますが、私の場合は「(何かからの) 自立」というよりも、そのようにして比較できる「何か」がもはやありえないような地点を考えるとどうなるか、という路線で探究を進めているようです。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1630109203598807040…
@Taroupho ただし上記の「自立的」は必ずしも谷口さんの立場そのものではなく谷口さんが「入不二さん的なマイナス内包」に仮託したところでした。
@Taroupho ただし上記の「自立的」は必ずしも谷口さんの立場そのものではなく谷口さんが「入不二さん的なマイナス内包」に仮託したところでした。
@Taroupho 累進構造への巻き込まれから自立的な内容性という意味での(意味という言葉は使い難いですが)ゼロ内包的自立性が存立できるかという問題ですが当然なから谷口さんの論考がそれを論じていますので今後さらに読んでみます。
@Taroupho もちろん谷口さんの「自立的」の箇所からです。
谷口一平 A.k.a.hani-an@Taroupho
「自立性」という言い方だとすでに「内包」の側へ踏み込んでいる気もしますが、私があそこで問うていたのは事実的な「内容」性のことですね (永澤さんは当然ご理解下さっていると思いますが)。永澤さんの若き日からのご研究も、是非どこかでお伺いしてみたいものです。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1630041609583874048…
@Taroupho 経験的事実ではなく存在論的事実として。
@Taroupho あらためて〈赤さ〉が「自立性」を持つかどうかまた「持ち得る」ではなく事実的に「持つ」次元が問題になってきました。実はこの問いは私の博士課程時代の最大の探究課題(の少なくとも最重要バージョンの一つ)だったと思います。もちろん現在もですが。
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 ただし、哲学的な議論や神経科学などの研究から、意識が自己自身や外界との相互作用によって変化することが示唆されています。つまり、自己自身や外界との相互作用は、意識の変化に影響を与える可能性があるとされています。
@XlGjfmYpCchopJ6 現代の科学においては、物理的な対象に関する観測は、観測装置などを用いて観測することができますが、自己自身や意識といった主観的な経験に関しては、科学的な測定方法が確立されていません。つまり、自己自身や意識といった主観的な経験は、科学的な方法で直接観測することができないため観測不可能
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 フォンノイマンはコンピュータの分野に大きく貢献した方なので、彼の解釈は会って話してみないとわかりません。ただ、Chat GPTのようなAIの進化まで進んで、それに聞いてみると同じ回答が返ってきました。
@path110 昨日からまさにこうしたテーマに関わるある論考を読み始めています。
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 フォンノイマン鎖は、x_seek さん→ https://xseek-qm.net/cat.html のサイトに書いてあります。波動関数の重ね合わせや観測問題でよく議論されます。要は、量子情報理論において、エンタングルメントの概念を説明するために用いられるモデルの一つです。
@path110 それが私が先に述べた自己自身または意識と意識の観測対象との相互作用自体を意識が観測可能という自己観測です。
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 このアイデアをさらに発展させたものが、「観測者が観測対象についての情報を得るために、観測対象との相互作用によって観測者の状態が変化する」というアイデアです。つまり、意識が意識と対象との相互作用自体を観測可能だとする考え方があります。実用化はされていませんが。
@path110 それが私が先に述べた自己自身または意識と意識の観測対象との相互作用自体を意識が観測可能という自己観測です。
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 フォンノイマン解釈によれば、物理系が観測されると、その状態は確定されます。このとき、観測を行った人間の意識が重要な役割を果たすとされています。つまり、観測を行うことで、意識と物理系との相互作用が生じ、その相互作用によって物理系の状態が確定されると考えられています。
@path110 「ノイマンの鎖:量子系と古典系の境界はいくらでも拡大できる」ということであれば、少なくても間接的にはフォンノイマンのいう「意識」と関係すると思いますが、また後程。
@path110 「ノイマンの鎖:量子系と古典系の境界はいくらでも拡大できる」ということであれば、少なくても間接的にはフォンノイマンのいう「意識」と関係すると思いますが、また後程。
@path110 つまり意識が意識と対象との相互作用自体を観測可能だというアイディアでしょうか?
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 フォンノイマン鎖の鍵となる概念は、エンタングルメントという量子現象と、量子力学における観測の問題です。自己自身の観測が可能ということは、量子力学の観測問題とは異なる問題であり、フォンノイマン鎖とは直接関係がありません。
@path110 観測行為の主体で観測対象と相互作用しその結果として波動関数の収縮が齎されるという立場でフォンノイマンはいいですか?
@XlGjfmYpCchopJ6 数学で自然の数として、1.2.3‥が挙げられます。これを整数、虚数、複素数と拡張していく時に包含される自然数ですが、0或いは1を認識した時点で、フォンノイマン鎖を考えるとおもいます。この辺の観測に於いての考えがあれば、お答え頂けたらと思います。
@path110 フォンノイマン鎖の鍵になる概念またはアイディアは自己自身の観測が可能ということでしょうか?
@path110 意識については
@path110 それは全ての彼の論の前提ですか?
@path110 箱と意識の関係をフォンノイマンはどう考えていたのか。
@path110 意識がフォンノイマン解釈においても依然としてブラックボックスです。
@path110 シュレディンガーの猫の有名なフォンノイマン解釈のアイディアのコアのことですか
@path110 また観測はどういう含意で言われてますか?
@path110 フォンノイマン鎖とはペアノの公理の彼による別バージョンですか?
2023年02月26日(日)
この〈隔たり〉が言わば原動力となって永井均氏の言う「累進構造」(というメタレベル的-俯瞰的に捉えられた次元)が動的かつ完結-停止不可能な「構造化の運動」として成立すると考えられる。
永澤 護/dharmazeroalpha@XlGjfmYpCchopJ6
附記 上記スレッドの二つのツイートの《我》は《私》に統一
(承前)やはり上記の意味における「<私>=《我》の成立」という事態すなわち「概念化」の次元と「巻き込まれ/組み込まれ=重ね合わせ」それ自体の次元との間の<隔たり>は抹消不可能だと思われる。以下を参照 #哲学 #現代思想 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n1e6d9d1432de?magazine_key=m170c173402fa…
<私>の二重カッコ化つまり<私>=《我》の成立という事態は同時に言語的普遍性の成立という意味での「概念化」という事態であり、しかもその普遍化が完全に存立しきる=成立し終わることが不可能であると考えるならば(以下に続く)#哲学 #science https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1629670642206543874…
#レトロ トレイン https://pic.twitter.com/iwms8ZbXE1
2017年12月09日 再投稿 世界はカオスのインフレまたはハイパーカオスインフレーションへと向かっている。ある閾値を超えると(かつては単独でも十分破局的だった)個々のイベントの機能は大幅に低下する。予定されたシナリオの保証は一切存在しない。カンブリア革命はその先にあるだろう。#philosophy
December 09, 2017 Reposted.The world is headed towards chaos-inflation or hyper-chaosinflation. When the threshold is exceeded, the function of each individual event (once alone sufficiently catastrophic) declines dramatically.The Cambrian #Revolution will be ahead of it.
Archives 入不二基義氏の「<>についての減算的解釈」を巡って 「概念化・重ね合わせ」への問い #note #science #philosophy #哲学 #現代思想 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n32752c318a39…
@irifuji 了解しました。
2023年02月25日(土)
入不二 基義 Irifuji Motoyoshi@irifuji
@XlGjfmYpCchopJ6 「概念化・重ね合わせ」は、文脈限定的に狭い意味で使われています。「概念化」は〈私〉の二重カッコ化のみを表していますし、それが図の上では「重ね合わせ」に相当します。それはそうならざるを得ないという意味で、カテゴリーによる世界構成の能動性とは対照的な非-能動性を持つと考えています。
@irifuji おそらく入不二さんはこの「概念化」を「巻き込まれ/組みこまれ=重ね合わせ」としての「受肉的=受動的概念化」といった形で捉えていると思いますが、私の場合は「概念化」の次元と「巻き込まれ/組み込まれ=重ね合わせ」の次元との間に〈隔たり〉を見ています。
@irifuji この「概念化・重ね合わせ」の「概念化」はむしろ逆に「(十全な)概念化の非-十全化」=「十全な概念化のその都度の機能停止」といった事態ではないでしょうか。それ故に「断裂」の契機になり断裂効果を齎すのではないかと思われます。
@irifuji 訂正「概念的」→「概念化」
@irifuji これら両者の等値または並列化の内実がわからないと「概念化・重ね合わせと世界構成のギャップ」つまり「一方向性」内部の「断裂」の内実もわからなくなります。
@irifuji テキストの表記は「概念化・重ね合わせ」です。
@irifuji 一つ質問ですが、「重ね合わせ」と「概念的」が「重ね合わせ・概念化」と並列表記されていますが、両者は等値または意味的に交換可能ということでしょうか。であればもう少しご説明をいただきたいと思いました。
#カント 『 #純粋理性批判 』の最重要の帰結は直観形式としての時空を単に概念的にどう論じても不可避的な矛盾に陥るということだが、実はこの直観形式としての時空と概念=言語の関係自体に不可避的なアポリアが潜んでいる。これはあらゆる #哲学 の探究に潜むアポリアになる。#science #physics
魂についても神についても誤謬推理ではなく二律背反が可能なはずだという高峯一愚の #カント 『 #純粋理性批判 』解釈は慧眼。私自身魂の実在性に関して院生時代に二律背反の骨格部分を構成した。学生時代に「神」を「言語分節の公理」としたがこれは理性の統制的理念でありカント的方向だった。#哲学
前掲書33頁 永井均氏の記述から引用「現在は未来の実在性を構成することができず、未来の新たな〈今〉は、現在のこの〈今〉に統合されてはいない」#デカルト もこの決定的な洞察を『省察』において記述した。意外にもこの洞察が欠如している様に見える(著名であっても)フェイク的「哲学者」が多い。
実践的次元における思考の主体は無時間的な「時間の外部」に位置しかつ時間領域と一つの系列をなすことができる。この時間の外部と時間領域の両者に包括的に関わる思考の主体は #カント により超越論的自由と呼ばれるが、それこそが魂と呼ばれる「思考の主体=コギト」である。#純粋理性批判
『〈私〉の哲学をアップデートする』春秋社 31頁「 #カント においても、合理的心理学の魂にあたるものは、世界の内部に実在しない「純粋統覚」として保存されている。それは、持続的に存在することの条件を作り出すのであって、それ自体はその条件に従って持続的に存在はしないのだ。」#純粋理性批判
@irifuji 入不二さんのアフターソートの最後の注の248頁最後から2行目誤植「それれでも」→正「それでも」がありましたのでご報告いたします。なお発表部分とアフターソート本文は未読ですのでこれからじっくり読ませていただきます。
@hitoshinagai1 昨日永井さんのアフターソートを読了後序章31頁迄読みましたが、後ほど全体をじっくり読むのはもちろんですが、それ以外の箇所にざっと目を通しましたところ(全体の10%以下)入不二さんのアフターソートの最後の注の248頁最後から2行目誤植「それれでも」→正「それでも」がありました。
@hitoshinagai1 昨日永井さんのアフターソートを読了後序章31頁迄読みましたが、後ほど全体をじっくり読むのはもちろんですが、それ以外の箇所にざっと目を通しましたところ(全体の10%以下)入不二さんのアフターソートの最後の注の248頁最後から2行目誤植「それれでも」→正「それでも」がありました。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
有難うございます! 
ついでにもう一箇所。
18ページ最終行:あるは⇒あるいは https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1629056723590979584…
@hitoshinagai1 現在本日届きました『〈私〉の哲学をアップデートする』の永井さんのアフターソート論文204頁に差し掛かりましたが、引用されている二箇所の「ある表象を他の表象を」は「ある表象を他の表象に(結びつけて)」の誤植と思われます。細かい箇所の指摘ですがとりあえずご報告いたします。
#夏目漱石 は、かなり徹底した #カント 主義者あるいは #純粋理性批判 の徒である様に思われる。
ご賛同ありがとうございます。 https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1628252362107392005…
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
ときにフーコーをカントと類比して、歴史的に相対化された「新たなカント主義」だとか言う人が(「哲学者」の中にさえ)いる。「経験の可能性の条件」自体が歴史的に相対化されているさまを示した、とか。こういうのが「エンタメ哲学」の典型で、哲学的な問いの真の意味を知らない人には受け入れやすい。
谷口一平 A.k.a.hani-an@Taroupho
ありがとうございます! 「アフターソート」はどの原稿も深く独自の問題を提示しているようで、それも含めての新たな「見え方」を楽しんでいただけましたら、著者のひとりとして大変幸甚です。 外」をhttps://twitter.com/xlgjfmypcchopj6/status/1628878661154930690…
#心 という矛盾の場 量子テレポーテーション 実在性の場とその「外」|永澤 護 /dharmazeroalpha #note #哲学 #science #physics #物理学 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n79847bc2a5fe…
https://twitter.com/hottaqu/status/1628673408929239041… ツイートの「心は宇宙の外にあって非局所的だと主張されれば、 #量子テレポ でも元の場所に心は取り残されないと言われれば否定できません」は興味深い。「心」が実在性の場とその「横断する矛盾の場(彼自身の思考の場でもあるが)と考えられている。#哲学 #物理学
https://note.com/dharmazeroalpha/n/n39f9ca618bab… これをさらにブラッシュアップしていくという探究作業が残っている。#哲学 #philosophy #science #現代思想 #physics
@Taroupho ネット注文でしたので、昨夜ようやく届きました。さっそく読んでいきます。遅くなりましたが、おめでとうございます! 谷口さんの発表原稿を読んでいた昨年の記憶が新鮮によみがえってきて、とても懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
いまだにいかなる哲学・物理学によっても真に答えられていない問題|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nac3906080517…
いまだにいかなる #哲学 によっても(現代 #物理学 によっても)真に答えられていない問題: 観測という行為に時空という直観形式が先立つと言えるか? #philosophy #science https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1627452044121628674…
https://note.com/dharmazeroalpha/n/na2add4dae67c?magazine_key=m81a05c353a2d… #フーコー については26歳頃までには片を付けたが、実際それ以降新たに探究すべき課題は生体政治工学的「応用」以外には見いだせなかった。この「 #カント とフーコー 経験の形而上学と歴史の造型:『言葉と物』読解」は26歳頃に執筆した。#哲学 #現代思想
参考文献は #フーコー 『狂気の歴史』補遺論文と #デリダ 『エクリチュールと差異』「Ⅱ コギトと狂気の歴史」だがフーコーによる #デカルト 批判をどう受け止めるかは読者にとって重要なリトマス試験紙になるだろう。それにしても私がこれらを読んだのは学部時代なのでとても懐かしい。
参考文献は #フーコー 『狂気の歴史』補遺論文と #デリダ 『エクリチュールと差異』「Ⅱ コギトと狂気の歴史」だがフーコーによる #デカルト 批判をどう受け止めるかは読者にとって重要なリトマス試験紙になるだろう。それにしても私がこれらを読んだのは学部時代なのでとても懐かしい。
Archives マンマのさんま氏による「〈 〉についての減算的解釈」by 入不二基義に関するツイート+関連リンク集 / 
 2023年02月22日(水)
@irifuji 大仰な言い方になりますが、マンマのさんま氏が整理した入不二さんの議論の二様の解釈を何らかの形で統合することは、究極的には永井哲学と入不二哲学を何らかの形で統合する作業になると思います。そうした探究作業は途轍もなく困難であっても哲学的に可能だと考えています。
@irifuji マンマのさんま氏のツイートの「〈Φ〉が、永井先生が議論する水準の特殊性と必然的に繋がる事を示す議論」は、ここまでの記述でマンマのさんま氏が整理した、二元的に(必ずしも二項対立的にではないが)捉えられた入不二基義氏の議論の二様の解釈を何らかの形で統合する作業になりますね。
なんとも不気味な(なんとも言い難い)しかし奇跡的に書かれてしまった世界 そのカーブの向こうでは〈私〉が消去される。 #安倍公房 #哲学 
@hitoshinagai1 かなり大昔の記憶ですが、永井さんは確かフーコーとデリダによるデカルト『省察』における「狂気」の扱いを巡る論争を恐らくはデリダの立論を焦点にして論じた学術論文をお書きになっていたと思います。タイトルも内容も忘れてしまいましたが。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
フーコーについてはまったく仰るとおりです。『狂気の歴史』は非常に面白い本だと思うけれど、彼は固有名としての「哲学」とは全く無縁の人で、縁があっても外側から「哲学」という歴史的現象について論じることしかできないでしょう(両側から論じられれば面白いのだけれど……)。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1628184182425018368…
#フーコー の #デカルト 『省察』「夢の懐疑」批判の的外れさつまらなさはちょっと驚くべきものである。『省察』の核心的なポイントを完全に外した状態で『狂気の歴史』は書かれた。 #哲学 #現代思想 https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1624960959705133056…
https://note.com/dharmazeroalpha/n/nf7b6091949d7?magazine_key=m8a1fc578bd43… 「故久保元彦氏が分け入って早逝してしまった様なデッドライン」に関して、その最も枢要な指標となる久保氏自身の「自己触発」を巡る記述画像 #カント #純粋理性批判 #哲学 #philosophy 
2023年02月21日(火)
Archives エンタメ哲学の指標 関連ツイート|永澤 護 /dharmazeroalpha #note #philosophy #哲学 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n34a957de374c…
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 リンドラー座標系における振る舞いは、半径の大小によって異なります。リンドブラッド半径近くでは、単純な運動が支配的であり、円運動が見られます。一方、リンドブラッド半径よりも外側の領域では、複雑な非対称な運動が支配的であり、その振る舞いは非常に複雑で、現在も研究が進んでいるよ
@path110 まさに零点近傍だからこそ!
@path110 いえこの動画を昨日見てはじめて知りましたが哲学的に見ても非常に興味深くまさに私の探索過程のコアにリンクしそうです。
@path110 鍵になる座標原点=ゼロ点でのリンドラー座標がまだ内在的に理解し難いのが残念です。
@path110 https://www.youtube.com/watch?v=QXskyqujHSQ… 参考として、この記事の末尾に #ヨビノリ 氏の解説動画をリンクした。本記事はこれまでの探究過程の一貫だが直接的にはこの動画でのヨビノリ氏の言葉が出発点になっている。#物理学 #哲学
時間領域での先取り的循環構造としての自己実現的予言を空間領域での入れ子構造の反復的な生成と組み合わせた作品だが、筋書き通りのかなり残念なラストに回収される。抽象的に見た方法論としては斬新なので他の作家がホラー以外のジャンルで創って欲しい。#へレディタリー #cinema #映画
『砂の女』岡田英次, 岸田今日子, (監督) 勅使河原宏 簡単な紹介 #安倍公房 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n0eeafbbf8403?magazine_key=m012e0cc06fd6…
もちろんこの「通過」というのはこれら両形式の区別をカント的な仕方で維持する(し続ける)ということではない。まさにそうすることが矛盾に陥ることによって不可能になる。しかしそれは通過した後の矛盾の不可避性による。
@hitoshinagai1 確かに当初の区別のみを突き詰めると故久保元彦氏が分け入って早逝してしまった様なデッドラインになると思いますが、二つの補足ツイートにあるように広義には永井さんによる『時間の実在性』での矛盾の剔抉がウィトゲンシュタインの問題系を含む上記基準の最重要の通過の仕方の一つになると思います。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
それは極めて重要なポイントだとは思いますが、私としては「純哲」の範例をアリストテレス『形而上学』から(『純粋理性批判』を経て)ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』へ至るラインに見たいので、私からすると分類そのものの指標としては若干カントに寄り過ぎで、シャープすぎるようにも思えます。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1627452044121628674…
 2023年02月20日(月)
寡聞にして初耳だった。『ヘレディタリー/継承』はシュミレーション仮説的な入れ子構造として見れるがホラーとしては評価できなかったので、『ミッドサマー』で #安倍公房 『 #砂の女 』の勅使河原宏作品を参考にしたと言われてもあまり関心はない。 https://twitter.com/Norristpo1/status/1624741954507665408…
この「矛盾」を『時間の非実在性』を素材にして論じた作品として以下がある。#philosophy #哲学 https://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%AE%E9%9D%9E%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E6%80%A7-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88/dp/4062924188/ref=asc_df_4062924188/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=295673516349&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=18091537906498704051&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=m&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=20636&hvtargid=pla-524134792539&psc=1&th=1&psc=1…
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 ありがとうございます。難しい内容がまるで「出来事」みたいに情報になるとびっくりします。至らない点もありましたが、これからもよろしくお願いします。
@path110 はい。
@path110 一連のスレッドとしてまとめました。 Archives 「一瞬」という思考実験の場を巡るみいあ氏との対話 https://note.com/dharmazeroalpha/n/neadb7fdc9812…
真顔アカウント@sitasimiyasui
@XlGjfmYpCchopJ6 これは本当に参考になりました。実存が実存の本質として語られざるを得ないことを利用しているのですね。ということは、事実命題から価値命題を引き出さざるを得ない。
演算子は総て言語的定義または何らかの言語的記述と不可分なのではないでしょうか。#science #physics #philosophy https://twitter.com/path110/status/1627530734163603456…
鋭い観点ですね。 https://twitter.com/sitasimiyasui/status/1627502710856777728…
@sitasimiyasui 《我々》は《我々=人間》としてもいいですが本来的に成立不可能な(はずの)〈私〉=《我々》という等式はしたがって=ゼロになります。どこにも存在しないが故の力を《道徳》は持ち得ていると言えます。
@sitasimiyasui https://note.com/dharmazeroalpha/n/nec1b801f1f4e… 参考
@sitasimiyasui ここでは詳しく述べませんが「道徳」は神の存在論的証明の成功(の見掛け)を必要としますね。
@path110 そうですね。
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 180度の方向転換という具体例より、場としての演算子ベクトルに言葉としての意味があるかという問題ですよね?私が量子力学の「調和振動子」をたとえに出したのは、順番に量子論を習うと、そのワードで生成消滅演算子が出てくるからです。この辺は、体系的な問題なので帰納的に述べました。
@path110 方向転換はこの場合は完全に180°になるという意味では調和振動子と少なくとも現象的には同じになるのはわかります。また後ほど。
この含まれ方について言葉でさらに説明できますでしょうか? https://twitter.com/path110/status/1627263928844832768…
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
「エンタメ系」の話は以前にしたが、その際はヘーゲルの『精神現象学』やハイデガーの『存在と時間』がその意味でじつはエンタメ系なのだと言った。『エチカ』は明白にその仲間だ。エンタメ系のほうが普通の人の人生に直接に役立つことが書かれているという含意があるので、これは決して悪口ではない。
もちろんこの「通過」というのはこれら両形式の区別をカント的な仕方で維持する(し続ける)ということではない。まさにそうすることが矛盾に陥ることによって不可能になる。しかしそれは通過した後の矛盾の不可避性による。
これら二つの対比項を区別する #哲学 的に最も核心的な指標は #カント の直観形式と純粋悟性概念の区別ができているかどうかだと思う。様々な議論はあるにせよ「まずはこの根源的な区別を何らかの仕方で通過していないと話にならないしそこに潜む本質的な「矛盾」にも気づけないだろう。 https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1627176821359001601…
@path110 場の理論に包摂されますが。
@path110 ただし先のミンコフスキー空間という図式化の例は特殊相対論における通常の意味です。
2023年02月19日(日)
@path110 もちろん問題領域は「量子重力場の理論」です。
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 「双子のパラドックス」に、量子力学における調和振動子の生成消滅演算子が絡んでいるという問題提起では、ミンコフスキー時空を専門用語に使っている時点で、相対論というより場の理論ですね。そこに「一瞬」「反転」という概念は含まれているので、言葉では表せない気がします。
@path110 マイナスをつけるという思考の操作がどうしても必要または要請されますがこの思考操作の「時間」はゼロカウントであり無内包または実在性ゼロです。
みいあ@path110
@XlGjfmYpCchopJ6 浦島効果の戻る「一瞬」という反転現象が、#一般相対論 では、ベクトル場にマイナスをつければ表現できる。言葉には人間が認知し、理解できる作用があります。これが超弦理論に基づいた #ホログラフィーの原理 まで行くと「一瞬」の反転がカウントされているかは、一種の哲学です。
もちろんこの「一瞬」という場自体が(ミンコフスキー空間や #量子論 におけるファインマンダイアグラムといった)既に図式化された場=図式化機能としての思考の場における何かであり、物理現象が生起するとされる場ではあり得ない。つまりそれに #物理 的な実在性はない。#哲学
なぜか思わず笑ってしまった。詩を感じたからだろうか。 https://twitter.com/7xyzab/status/1627146404249608192…
「一瞬」という思考実験の場|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nd9745d8ed823…
#相対性理論 等の思考実験においても「光速の6割で飛行するロケットが一瞬で方向転換して地球に向かう」といった形で「一瞬」という「物理現象が生起するとされる場」とその場にはあり得ない「思考実験(図式化と計算の働き)がなされる場」が同時に前提される。#哲学 #science #physics
@Taroupho @hitoshinagai1 いずれ何か考えましょう。お会いするのを楽しみにしています。もちろん永井さんや皆さんにも。
2023年02月18日(土)
根源的な《道徳》の定式 『ゼロ-アルファ』第一部断片19より 永澤 護 /dharmazeroalpha #note #哲学 https://note.com/dharmazeroalpha/n/nec1b801f1f4e…
一般に誰にも言えるというわけではないが、#スピノザ や #ニーチェ は何か不可解な、わけのわからない #人生 の異物に突き当たってしまった様な(取り分け思春期頃の)人々に生きる勇気のような力を与えると言えるだろう。
Archives 永井 均氏との対話 #スピノザ があまり哲学的ではなかったその急所 /dharmazeroalpha #哲学 #現代思想 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n758b97d93a6c…
https://note.com/dharmazeroalpha/m/m0779cd743353… #成田悠輔 参考 優生主義から汎優生主義への転換が21世紀初頭から本格的に開始され、それに呼応して現在まで続くメディア特化型文化人が生産された。上記資料はその流れにリンクして2000年頃から開始された社会哲学=応用哲学領域の作業である。
2023年02月17日(金)
#カント 『 #純粋理性批判 』の最重要の帰結は直観形式としての時空を単に概念的にどう論じても不可避的な矛盾に陥るということだが、実はこの直観形式としての時空と概念=言語の関係自体に不可避的なアポリアが潜んでいる。これはあらゆる #哲学 の探究に潜むアポリアになる。
2023年02月16日(木)
引用② 「だが、
その〈私〉=《我々》はどこにも存在してはいないのだ……。
       すなわち、
       〈ここ〉では、
            〈私〉も、《我々》も存在しない。」
上記から引用: 根源的な《 #道徳 》の定式 「『コギト エルゴ スム(我思う故に我あり)。……〈神〉は〈存在〉する。……故に、〈私〉=《我々》は〈存在〉する。……故に、〈私〉=《我々》は〈正しい〉。
[……〈これ〉で、〈善い〉。](ここで、超-大量殺戮の扉が静かに開く。)」
真顔アカウント氏が #成田悠輔 氏の戦略的本質を刳り出す|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nbf65f275e142…
ご参考までに。これは一見するとわけのわからないものでしょうが、ある見方からは真顔アカウントさんが一貫して #哲学 的に深く掘り下げている「 #道徳 」という問題系の周りまたはその根源的地帯を経巡るものだとも言えます。 https://note.com/dharmazeroalpha/n/na854e717eaee…
実際既に件の人物はそうした戦略を戦術的にメディアで実行し続けている(きた)ようですね。誰にまたはどういった者たちに吹き込まれたのかはともかく。 https://twitter.com/sitasimiyasui/status/1626066291609174017…
真顔アカウント@sitasimiyasui
「口にしちゃいけないって言われてることはだいたい正しい」という言説が人口に膾炙したら、それを逆手に取って、ぜんぜん正しくないことを「口にしてはいけない」と吹聴することで正しいと思い込ませることができる。
@ryu17669655 #菩提達磨 の師 #般若多羅 の言葉「華開いて世界起こる」
#仏教 とは何か|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n3fc0bc2698cf…
@ryu17669655 「 #仏教 」は #仏陀 から開始された達人つまり真に並外れた理論的かつ実践的(端緒からこの実践性が不可欠のコア)な哲学の徒たちの持続する営みの総体の呼称ですね。後に菩薩道の実践として大乗化され民衆の生命力そのものになろうとしましたが。
《我々によってXと呼ばれるもの》の罠|永澤 護
上記の罠に落ちない人はあまりいないのではないか。それが #哲学 とか #思想 とか #倫理 とか #宗教 とか《我々によって呼ばれるもの》を生みだす。つまりこういったものは総て《我々》の生みだす流行(のようなもの)に過ぎない。
#西田幾多郎 の解消し難い弱点と思われるのは、ある種の通俗性を伴った言説の流れのようなものの内部に何らかの程度で逃れ難く回収されてしまうということだろう。ところで #デカルト が『省察』を(『方法叙説』の様にフランス語ではなく)ラテン語で書いたことは決定的に重要である。#哲学
西田幾多郎 スピノザ ライプニッツ|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/neb81ae17edca…
#西田幾多郎 とも比較にならない。超越論的であると同時に唯一無二の実存主体=私という場についての問いがそもそもの最初から消去されている。だから彼は #ライプニッツ の微積分から始まる新たな次元の幾何学が展開した果てに依然として問われる究極的主体への問いにも無関与になる。#スピノザ #哲学 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1625454353623691264…
『ゼロ-アルファ――<出来事>のために』第一部断片19|永澤 護 /dharmazeroalpha #詩 #poetry
2023年02月14日(火)
@hitoshinagai1 デカルトと特にライプニッツは今なお非常に過小評価されていると思います。この点デカルトとライプニッツの異次元的な業績を正確に理解評価できる先端的な数学者物理学者たちは事情が異なると思います。ただし総合的に見た彼等の #哲学 的メタ自然学的な評価は数学者物理学者には難しいかもですが。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
スピノザは明らかにあまり #哲学 的ではなかったと思います。いわゆる「大陸合理論」の他の二人、デカルトとライプニッツに比べると、断絶といえるほどの差異を感じます。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1625454353623691264…
一事が万事で、だからこそ彼は自己原因から出発できた。#スピノザ
スピノザは実はあまり哲学的ではなかったかもしれない|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n1ec755adda19…
これは顰蹙を買うだろうがスピノザは実はあまり #哲学 的ではなかったのではという疑念がある。時間表象が物体の相対的な運動速度の表象から生まれたかの様な説明は酷いの一言で、そもそも「幾何学的秩序」からの「幾何学」及びそれと哲学の接続がナイーブ過ぎる。一事が万事。#philosophy #science https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1624968230149423104…
期間限定 #核戦争 はそう遠くないかもしれない。
@YoshikazuImogai そうですね。
@fantajista1089 肉体労働の代替は様々な(互いに異質なレベルの)困難があるでしょうね。
@YoshikazuImogai #マルクス もかなり生粋の詩人です。#poetry
@YoshikazuImogai かなり生粋の #詩人 ではありますね。#ニーチェ
#スピノザ 研究をやっている人は、何のために #ライプニッツ と #カント が苦労してあんな仕事をしたのかよく考える必要があると思う。#philosophy #哲学 #science
だとすれば #成田悠輔 という極めてお手軽なエージェントにそのキーワードを言わせた側のターゲットが米軍と日本のイメージ毀損だというシナリオが想定可能だ。あくまで想定可能なだけだが、妄想だとも言い切れないな。彼は嘗て戦時米国でデフォルメされた「眼鏡猿顔の日本人」の典型だから。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1624880644789776384…
@Taroupho これは落とし穴だったな。まさに私も谷口さんの意味だと思いこんでましたよ(苦笑)
2023年02月13日(月)
#ゲーデル の #不完全性定理 の問題は一旦括弧に入れて。
魂についても神についても誤謬推理ではなく二律背反が可能なはずだという高峯一愚の #カント 『 #純粋理性批判 』解釈は慧眼。私自身魂の実在性に関して院生時代に二律背反の骨格部分を構成した。学生時代に「神」を「言語分節の公理」としたがこれは理性の統制的理念でありカント的方向だった。
上記ツイートに関して参考 Archives 現象学から道元へ 「修証一等」 未踏の地に向かって|永澤 護
上記ツイートに関して参考 Archives 現象学から道元へ 「修証一等」 未踏の地に向かって|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nf3e814729832…
成田悠輔の致命的なミス 米軍米国中枢とのクラッシュ|永澤 護
まさにその #ベルクソン が経験科学に回収されつつある様に見える。
もちろんその裏面としてあまりにもわかりやすい存在
#成田悠輔 の集団自決という言葉だが、レッドラインを明らかに越えているという深刻な問題(極端な優生主義等)の他に、沖縄地上戦でのまさに米軍米国中枢が最も触れてほしくなかったタブーを極めて無自覚に侵犯してしまったという致命的な問題がある。またしても「理解不能の日本人」が生産された。 https://twitter.com/kuriharakeisuk/status/1624770496146595840…
2023年02月12日(日)
その最も基礎的な哲学的問題領域を経ることこそが、 #現代思想 という領域においても人間文化についての基礎的革新的な考察へと至る唯一の通路かもしれないのに!と思うのだが、そうならない何らかの実際的な事情があるのだろう。やはり既存システムのホメオスタシス機構
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
#現代思想 は当然としてと言うのは、いわゆる現代思想はほぼ人間文化についての考察に終始しており、例えば因果性の本質とか自然の斉一性の根拠とか自由意志の存否といった自然学的およびメタ自然学(=形而上学)的な考察を、すなわち最も基礎的な哲学的問題領域を、すべてスキップしているからです。
Sub-Magazine: Kant's Critique of Pure Reason and Its Surroundings These articles explore #Kant 's #CritiqueofPureReason and its surroundings. It also has the position of Archives, including my own drafts from my youth. #philosophy #mathematics #physics #science
永井 均氏と入不二基義氏の哲学を巡る記事 一部谷口一平氏の論考を巡る記事もある。#philosophy #哲学 #数学 #物理学 #science #現代思想 https://note.com/dharmazeroalpha/m/m170c173402fa…
https://note.com/dharmazeroalpha/m/m8a1fc578bd43… #philosophy #カント #純粋理性批判 #哲学 #数学
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
たしかに、まさに目の前に存在している(すべてがその事実から始まってる)この途轍もない哲学的な謎を、 #現代思想 は当然として、歴史上の様々な #哲学 も、そもそも解明しようとさえしていないのは、それ自体が真に驚くべきことだと思います。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1624207469202534402…
真に稀有な #哲学者 だけが永遠に痕跡を刻む謎=問いを創造する。後の残りは総て季節の移り変わりとともに消え去るのみ。と #ランボオ なら呟いただろう。#地獄の季節
#哲学 の究極の謎=問い <私>の識別|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n8615e9a30634…
その言わばゼロ以上のゼロの実在性=独在性「によって」識別「できる」ということ自体が途轍もない謎= #哲学 的問題だと思われる。既存の #現代思想 全ての遥か彼方に放たれた問い。 https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1624046623838937092…
2023年02月10日(金)
この自由がなければそもそも〈行為〉という次元が存在し得ないのだから、当然のことながら哲学という行為も科学という行為も存在し得ないことになる。
実践的思考の主体としての魂 時間の外部と時間領域を包括する #自由 という理念|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nb5c9c3d6299f…
実践的次元における思考の主体は無時間的な「時間の外部」に位置しかつ時間領域と一つの系列をなすことができる。この時間の外部と時間領域の両者に包括的に関わる思考の主体は #カント により超越論的自由と呼ばれるが、それこそが魂と呼ばれる「思考の主体=コギト」である。#純粋理性批判
Archives 27歳頃 #カント 『 #純粋理性批判 』を素材にして書かれた論考最新改訂版『内容量のアポリアから<自由な行為>へ』|永澤 護 /dharmazeroalpha #note #philosophy #science #哲学
2023年02月09日(木)
クリプキ クワス算 ロールンツ変換 そして『転校生とブラックジャック』 #physics #philosophy https://pic.twitter.com/dOZELKVPkT
道元『正法眼蔵』とカント『純粋理性批判』の接点|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n0988c5d32589…
『 #純粋理性批判 』「純粋理性の誤謬推理」における #カント の記述は「単に思惟するこの私、あるいは彼、あるいはそれ」である。#道元 #正法眼蔵 「非思量」「誰」が的中する。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1623455842690539521…
参照② https://pic.twitter.com/gHCDhDZYBH
直前のツイート参照 https://pic.twitter.com/a6Vt7k7tDx
今ツイッター不具合で時間がなくなったので後ほどまた #道元 『 #正法眼蔵 』「非思量」の記述と #カント 『 #純粋理性批判 』「誤謬推理論」の記述との接点についてツイートする。 #哲学 #現代思想 https://note.com/dharmazeroalpha/n/nfdbb2ad460c2…
2023年02月08日(水)
躓き=アポリアつまりその《感覚概念》(<まさにこの私の感覚>の《概念》化)化にカントは不可避的に失敗している。言い換えれば、常にすでにそれに成功してしまっていることにおいてそれが真に成功することはないのだ。
《感覚というもの》 カント『純粋理性批判』のアポリア |永澤 護
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
他人の感覚は感性にではなく(想像力にでもなく)悟性に属する、という事実を認めることである。つまり、他人の痛みは最初から概念なのだ。そして、そのように認めることはつまり、人称(あるいは自他)というひとつの新しいカテゴリーを追加することである、というのが私の主張。終わり。
まさにそれが #カント の『 #純粋理性批判 』において人称(あるいは自他)というカテゴリーがない理由だと思われる。だからカントにおいては「この私の感覚」も《感覚というもの》として常に既に《感覚概念》化されている。しかし実はそこにこそカントの躓きがある。#philosophy #哲学 #現代思想
2023年02月07日(火)
参考 https://note.com/dharmazeroalpha/n/n62a761a9764f… #ミシェル・フーコー は #ニーチェ の弟子である以上に #ハイデガー の弟子だが、彼と #カント と #ウィトゲンシュタイン が共有していたのは、思考の根源的な図式機能の存在に飛び抜けて鋭敏だったことだと思われる。#哲学 #現代思想
#現代思想 の簡潔な要約 #ミシェル・フーコー という座標
ソクラテス イエス 仏陀という存在の意味|永澤 護
彼らが背負っていたもの(そしてそこから離脱したもの)は「我々」の想像を超えているということである。#哲学
そうですね。であれば間違いなく #ソクラテス も #イエス も #仏陀 (反バラモンカースト体制)も反道徳者の怪物になります。それぞれ巨大な体制道徳を「知っていてそれに従うのが当然でありそれに無知なものは断罪されるべき」という「道徳」に対する。「悪法も法」のソクラテスは境界線です
真顔アカウント@sitasimiyasui
だから、行為としてはいつでも善行をしているけど概念としての道徳は大嫌いということも(ついでにその逆も)全然ありうるし、ポリコレも差別も知らないがそれに類する行為を嫌う人、それとは逆に知っているが積極的にしている人もいておかしくはない。
佐藤未悠@miyou_satou
「そういう流れや行動があったとしても、それがポリコレに当たるかどうかなんぞわしゃ知らんわい」という意味なんじゃないか。
(個人的に従ってる行動規範が既に名前も存在してる行動規範と一致してたけど自分はそれを知らなかった、というのは普通にある) https://twitter.com/master_renka/status/1622595006770065408…
2023年02月06日(月)
Archives 永井 均『哲学的洞察』を巡って|永澤 護 /dharmazeroalpha #note
フーコー 統治 自己統治=陶冶|永澤 護
無知=無自覚とは何か 釈迦 ソクラテス イエス|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n5d792890edf9…
#マルクス からしてそうだが、#ヘーゲル の「弁証法」を借りるとあらゆる探究が #思想 になってしまうようだ。
@Taroupho フーコーを読まなくなって久しいですが彼は『狂気の歴史』から晩年のギリシア展開まで一貫してドゥルーズガタリとは異なる探究の道を歩んでいたと思われ「統治性」概念をカント的理性の病理性から「解除」し「自己の統治=陶冶」へと転換させる道に希望を託していました。哲学的に厳密ではなくても。
@Taroupho 「内部の外部への」=「外部の内部への」
@Taroupho 本来内部と外部はワンセットで同時成立したはずですが(キリスト教のシステム化=システムとしてのキリスト教の成立という開闢)ここに内部の外部への入れ子構造的な回収運動が作用しているのでしょうがそれをドゥルーズガタリの様に資本主義の超コード化としたら躓くことになります。
既にある程度知られていることだと思うが、 #カント はヒルベルト空間の様なイデアルな=ユークリッド空間を理念的に普遍化した空間またはリーマン幾何学の枠組みでの重力場の物理空間の様な非ユークリッド空間の可能性を十分に理解していた。#science #physics #哲学 #mathematics
成田悠輔氏のわかりやすさ|永澤 護 /
「予定」が「未来」を生み出す カルヴァン主義 予定説の陰で|永澤 護 /dharmazeroalpha #note
「もうここまで来ちゃってるし、これで行っちゃっていいよ」という感じのシナリオ(レベルのわかりやすさ)
2023年02月05日(日)
@sitasimiyasui 無責任つまり根本的に「無自覚」ですね。または釈迦やソクラテスのいう「無知=無明」にカテゴラ
#成田悠輔 のわかりやすさは「成田悠輔ほどわかりやすい存在はかつていなかったのでは?」というレベル
#哲学 ・物理数学・ #アート は同じ働きをコアとしている。つまり感性的直観と思考の総合的統一の働きとしての超越論的図式機能である。#ART #物理学 #数学 #カント #純粋理性批判
Archives 27歳頃 #カント 『 #純粋理性批判 』を素材にして書かれた論考の改訂版④ 未完のスクリプトのphoto画像であり今後さらに増補改訂する予定 #哲学
@sitasimiyasui 「予定」が「未来」を生み出しているのだとも考えられますね。カンヴァン主義の予定説の様に。
図式化機能としての操作=作用は膨大な指の訓練とともに働く|永澤 護 /dharmazeroalpha #science
多重関係の系譜 |永澤 護 /dharmazeroalpha #note
@hitoshinagai1 シルヴィア・バタイユ、ラカンとの関係は有名ですね。バタイユはニーチェのルー・アンドレアス・ザロメ、パウル・レーとの実験的三角関係に影響されたのではと思います。もちろんその関係のコアは多重関係の女王であるルー・ザロメですが。日本では宇野千代ですが瀬戸内寂聴は影響を受けたのかも。
2023年02月04日(土)
現在10.2万pvだが実はこれでもかなり婉曲に書いている。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1608366853524709376…
ゲーム→より正確には「言語ゲーム」
「ゲーム」という言葉だが、もういい加減 #哲学 あるいは #ウィトゲンシュタイン 関係では食傷気味だ。何も目新しい発見がないように見える。必ずしも使わなくてもいいのではないか?
Archives 27歳頃 #カント 『 #純粋理性批判 』を素材にして書かれた論考の改訂版④|永澤 護
2023年02月03日(金)5
だがそれにはかなりのというか膨大な指の運動の反復が必要とされるので、薬指等の(少なくとも軽い)腱鞘炎になるのが普通である。
既に何度か言っているが、(たとえ人工汎用知能ができたとしても)自分の手で描いたり書いたりしないと駄目だ。
ゾンビのアリーナ カントと
#カント がまさしくカントの #ゾンビ であることはイメージ的には #ウィトゲンシュタイン と並べるとわかる。ウィトゲンシュタインは格闘しているのが伝わるが、カントからはゾンビのゾンビらしさが伝わる。(いやカントも色々な場面で心情を吐露しているというカント贔屓を括弧に入れるな
Archives 27歳頃カント『純粋理性批判』図式論・原則の分析論を素材にして書かれた論考の改訂版③|永澤
数学の端緒的作用=操作と直観的図式機能|永澤 護
@magnet_mecha この「要素」と「言語」(的または概念的意味)との関係性が問われることになりますね。
「作用=操作」単独での概念的理解は極めて困難であり、その理解にはその直観的図式が不可欠となる。この直観的図式の機能つまり図式化機能としての直観的図式それ自体が「作用=操作」である。集合論群環体圏論での基本「作用=操作」の図式化を参照。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC… 「整数だけが神の愛の産物で他の #数 はすべて人間の作り物だ」と語ったクロネッカーが、カントを継承して人間による端緒的-有限的な「作用=操作」から出発する「直観主義」の祖の一人になったのは大変興味深い。#哲学 #数学 #mathematics
通常「操作」とも言い換え可能だが--- #数学 #mathematics
#数学 における端緒的キーワードの一つとしての「作用」 #mathematics
『 #純粋理性批判 』の大半を記述しているときカントは間違いなくカントのゾンビであった(少なくともカントのゾンビとしても書いていた)。でなければあんなものが書けるはずがない、と思うかもしれないが実はそれが我々の常態であると #カント が(端無くも?)暴露した。 https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1620782271568674817…
https://www.weblio.jp/content/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86#:~:text=%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86%EF%BC%88%E3%81%AB%E3%82%93%E3%81%92%E3%82%93%E3%81%92,%E3%81%8B%E3%81%AE%E7%A8%AE%E9%A1%9E%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82… 「人間原理」の簡単な説明
「人間原理」は、 #カント のいう「理性の統制的原理」つまり宇宙論的-超越論的理念である。 https://www.weblio.jp/content/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86#:~:text=%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86%EF%BC%88%E3%81%AB%E3%82%93%E3%81%92%E3%82%93%E3%81%92,%E3%81%8B%E3%81%AE%E7%A8%AE%E9%A1%9E%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82…
2023年02月01日(水)2
Tweets Archives カント『純粋理性批判』のデッドライン|永澤 護 /dharmazeroalpha https://note.com/dharmazeroalpha/n/naab9effaf458… #哲学
#人間原理 という超越論的理念
カント『純粋理性批判』のデッドライン⑤|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/nbc6b777a5c7f…
#カント は『 #純粋理性批判 』において「汎通的規定の原則」の根拠としての「最も実在的な存在者」つまり「神の存在論的証明批判」= #デカルト 批判を成し遂げたと自認しているが(通説もそうなっているが)実のところどうなのかという問いに関わる。#philosophy
@hitoshinagai1 多様がそもそもの最初から一つの意識の枠内部に回収処理されてしまっているのは学生時代から違和感があり、結局それが探究課題になりましたが、カントにおけるこうした多様と形式(質料と形相)の問題(独在性と超越論性の問題)を看過しているなら少なくとも哲学研究者とは言い難いですね。
永井均『独在性の矛は超越論的構成の盾を貫きうるか』発売中@hitoshinagai1
もし単に同型なだけでなく、実は同じ問題なのだとすれば、カントの枠組みでこの問いに答えることはできないことになる。与えられる「多様」が(個別の事例においてではなく端的に)無いとは何が無いことになるのか、『純粋理性批判』はこの問いが問える枠組みを入れ損なっているので。
@magnet_mecha 「事態」はその内実が曖昧ですがもし何らかの事例として成り立つならたとえ無数に成り立っても経験的結果のレベルです。この「事態」と「仮想的な志向」との仮想された「結びつき=結合」はもちろん「想定」に留まります。
@magnet_mecha 「ここ」とは「そのような意思」の「意思」の部分です。
@Taroupho これまで自分の実際の行為のけっかに関する無数の観測データがあっても所詮は経験的レベルなのですね。
@magnet_mecha 派→は
@magnet_mecha ここの「意思」派「意志」ですね。「意志」と「意思」の本質的差別化がカントです。
柄谷行人『 #力と交換様式 』アマゾンレビュー増補改訂版 重要ポイントを明確に書き加えた。#哲学 https://www.amazon.co.jp/gp/aw/review/4000615599/R3794C8VZYOMDP?ref=pf_ov_at_pdctrvw_srp…
真偽不明だが政界のとんでもない人物の名前を見掛けた。別に不思議ではないが。
2023年01月31日(火)
参考 南部陽一郎氏を讃えて 南部ゴールドストーンボソンと一顆明珠|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n13d4ce9b1113…
@path110 はい。ありがとうございます。『スピンとは何か』は大変興味深い本でした。
@XlGjfmYpCchopJ6 カント哲学と素粒子のCP対称性の破れ。磁性体にもモンテカルロ法を使った自発的対称
元 #philosophy #physics https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1620201854805344256…
「自発性自体」とりわけ「自体」がポイント
宇宙論的理念としての〈自由〉と対称性の自発的な破れの〈自発性〉|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n8ea7eeec71b0…
#カント の言う「 #自由 」という「理性の統制的原理」としての「宇宙論的理念」は、「 #対称性の自発的な破れ 」における「自発性」に対応する次元である。つまりこの「対称性の自発的な破れ」の「自発性」自体の探究は形而上学的次元にある。
再投稿 《形式=言語》という等式がその働きの次元で成り立つかどうか。
2023年01月30日(月)
冗談抜きで物理学者(特にいまだ実証不可能な数理物理的研究の従事者)たちにもこの形而上学的根拠レベルを探究してほしいが実のところ何らかの程度・次元で探究せざるを得なくなっているだろう。自覚しているかどうかは別にして。#物理学
カント『純粋理性批判』のデッドライン④|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n01f3df4bbae6…
#カント の目指した「学としての形而上学」は「純粋自然科学→現代なら量子重力理論」(早逝した久保元彦氏晩年の論考『内的経験』末尾によればその核は「純粋悟性の原則」)の形而上学的根拠を論証するものである。問題はその形而上学的根拠それ自体である。
Archives カント『純粋理性批判』のデッドライン③|永澤 護
#カント がメンデルスゾーン論駁を語り得る場は実在性=事象内容性のレベルには存在しない。カントはその「ひとつの」場を実在性の場つまり時間内部の実在性の移行という時間内容レベルに否認的無自覚的にすり替えている。依然として内包性または内包量のアポリアが存続する。#哲学 #純粋理性批判 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1619129401094082560…
2023年01月29日(日)
マルセル・デュシャンとウィリアム・バロウズの思い出に
https://note.com/dharmazeroalpha/n/n17bf106be1f8… ふと気づくと、〈私〉の寝室兼浴室のささやかな床下収納部分の裏側に慎重に据え付けられた『R.マット社製旅行用手提げ鞄』[旧暦1914年物]の秘められた内部で、恐らくは極限までミニアチュア=極小メモリ―化された久世丸癖麿が、笑いながら激しく血を流している。#詩
関連する永井均氏のツイート⇒ウィトゲンシュタインの所謂「前期と後期」問題という誤解を生みがちな学界内問題に対する氏の最近の一連のツイートも参照。 https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1619352087627972608… #ウィトゲンシュタイン #カント #純粋理性批判 #哲学 #現代思想 https://pic.twitter.com/hgRbX4ZHKD
2023年01月28日(土)
@Taroupho ニーチェは恐るべき犯罪(者)が大好物だから(笑)
https://note.com/dharmazeroalpha/n/n2d2a54ff978a… 参考 東浩紀は哲学的な新規性は皆無だが、「思想」的にはほぼ同じカテゴリーの成田悠輔ほどの露骨なグロテスクさ=毒性はない。極めて「日本的」な存在である。
#ニーチェ がこれだけありふれてしまった現状。これはこれでニーチェの憤激の対象だろうね (苦笑)
もちろんコギトあるいは超越論的統覚の働きへの問いとして https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1619129401094082560…
Archives カント『純粋理性批判』のデッドラインに対する附記|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n80abbf4dea13…
ある種の否認。#カント のメンデルスゾーン論駁は成功していない。時間とエネルギーの #不確定性関係 に関わる問題であることは院生時代には見えていたが #量子重力理論 的には情報の最小単位からの時空の創発かそれとも #超弦理論 的に時空をバックグラウンドに位置付けるか
2023年01月27日(金)
Archives カント『純粋理性批判』のデッドライン|永澤 護 /dharmazeroalpha #note https://note.com/dharmazeroalpha/n/n14704b9c3633…
現時点では仮説としておくが、 #カント は『 #純粋理性批判 』つまり彼の超越論哲学において内包性・内包量と時間(直観)の接続に失敗している。#哲学 #philosophy
@Taroupho ニーチェは恐るべき犯罪(者)が大好物だから(笑)
ウクライナだが、ロシアが核攻撃を行わないと予想した上での最強戦車レオパルト2投入ということは、その後のフェーズがもう #核戦争 しかないということだ。終末に近づいたね。#戦争
いずれにしても三浦瑠麗夫妻が様々な隠れたネットワークのノードなのは間違いなさそうだ。キーパーソン。 https://twitter.com/XlGjfmYpCchopJ6/status/1618454511370268675…


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